財布づくりから始まり、今やファッション業界を中心に幅広い製品を手がける袋物メーカー、株式会社長谷川製作所。
100年以上の歴史を持つ老舗でありながら、現状に甘んじることなく、時代の変化に合わせて“攻め”の営業スタイルへと大胆に転換を進めています。
伝統の技術を守りつつ、柔軟なビジネス展開で進化を続ける背景には、確かなモノづくりの精神と代表の熱い想いがありました。
今回は、長谷川卓也代表に、現在の事業内容やビジョン、そして代々受け継がれてきた企業の軌跡を伺いました。
歴史と伝統を受け継ぎながら、「自ら攻める」ものづくりへ
まず、御社の概要や現在の事業内容について教えてください。
弊社は「袋物製造卸業」として、財布やバッグ、ベルト、文房具類などを製造・卸している会社です。もともとは財布からスタートしたのですが、25年ほど前からバッグ、その後ベルトやノベルティと、扱う製品の幅を広げてきました。
現在ではファッション業界を主な取引先としており、セレクトショップさんやブランドさんへのOEM/ODM提供がメインです。
昔は完全に国内生産でしたが、今は約8割が海外生産、国内は2割ほどという構成になっています。
歴史もかなり長いと伺いました。
創業は1916年頃で、初代が「長谷川商店」という名で財布職人として始めたのがきっかけです。関東大震災や東京大空襲などで記録がほとんど残っておらず、正確な資料はありませんが、代々受け継いできた口伝と少しの記録からそのように伝わっています。
私の曽祖父が財布職人としてデパートや問屋向けに商品を作り、その後祖父が引き継ぎました。祖父の代では職人を5〜6人抱えての製造体制でした。戦後、家業を引き継いだのが私の伯父で、ここから本格的にビジネスとしての展開が始まります。
伯父は先見の明があり、当時隆盛だったデパート業態が今後厳しくなると見て、ファッションブランドやセレクトショップなど、直接取引できるチャネルへと販路を広げていきました。私が入社したのは13〜14年前で、そこからOEM/ODMメーカーとしてブランドの下請け業務に深く携わるようになりました。一時は、非常に売れていた某有名ブランドの主力製造も担当していたんですが、そのブランドが業績不振になると、当然弊社への発注も激減しました。
OEM/ODMメーカーとしての難しさもあったのですね。
まさにそうです。取引先が元気でなくなると、こちらも一気に傾くというリスクがあります。それに、請け負い型のビジネスモデルだと、どうしても“待ちの姿勢”になりがちで、自社の方針で事業を動かすことができません。
そういった危機感もあり、約5年前からは法人向けのノベルティや異業種向けの製品提案など、新しい業態開拓を始めました。そして、私が代表になった3年前からは、外部の営業支援会社さん──たとえばアイドマさんやクラプロさんなどと連携し、“攻めの営業”へと本格的に転換したんです。
これまでのように「依頼が来るのを待つ」ではなく、自分たちから市場に出ていく。ターゲットの業界や商材の可能性を一から調査して、必要とされるものをこちらから提案する。そんなビジネスモデルに切り替えました。
おかげさまで、6月で終えた前期は売上をしっかり回復でき、7月からの今期もすでにかなり先の見通しが立っています。
メーカーとしてのこだわりや強みはどこにありますか?
当社の最大の強みは、”百年の歴史に裏打ちされた材料や製品に対しての知識力”と“小回りの効く対応力”です。革をはじめ人工皮革、合皮などの知識力、製品の作りに対しての知識と経験値、大量生産ではなく、中〜小ロットでの柔軟なモノづくりが可能な点ですね。
特にファッション業界では、トレンドの変化が激しいため、スピードと柔軟性が重要です。その点、弊社ではデザインや素材の提案から仕様の調整まで、細かい相談にも対応できます。
ただし、個人のお客様からの「一点だけ作りたい」というようなご依頼には基本的にはお応えしていません。生産コストや手間を考えると、1本だけの製造にはどうしても高額な費用がかかってしまいますし、弊社はそういったスタイルを前提とした運営はしていません。その代わり、ある程度まとまったロットであれば、企業様向けのノベルティやOEM/ODM製品など、幅広くご相談に応じています。ファッション業界以外からのお問い合わせも増えていて、今後はさらなる販路拡大を見込んでいます。
伝統を守りつつ、新しい領域に挑戦していく姿勢が感じられます。
ありがとうございます。100年以上の歴史を持つメーカーとして、技術と信頼の積み重ねは大切にしながらも、時代に応じて変化していくことが生き残る道だと思っています。
製造業も、これからは営業力が求められる時代です。弊社もようやく“受け身”から“能動的”なステージに入ってきたなと感じています。
今後は、ものづくりのノウハウを活かしながら、より広い業界・業種のお客様に貢献できるような企業でありたいと思っています。

経営者を志した原点と、異業種からの挑戦
もともと経営者になろうと思われていたのでしょうか?
実は中学生の頃から漠然と「経営者になりたい」と思っていました。当時は勉強が嫌いで、高校にも行かず働きたいと思っていたほど。東京・神田のうなぎ屋でアルバイトをしていた時、職人の世界に魅力を感じ、料理人としての道を志しました。
高校3年から本格的に修行を始め、割烹や居酒屋で経験を積んだのち、飲食チェーンに就職。そこでは12年間、店長からエリアマネージャー、スーパーバイザー、事業部立ち上げまで幅広く経験しました。
その会社では「自分の店を自分の会社と思え」という方針のもと、予算管理やPLの組み方まで徹底的に学び、経営感覚が養われました。この経験が、のちの家業への転身の大きな土台になっています。
製造業というまったく別の業界に入られたきっかけは?
父と伯父から「継ぐ人がいない」と声をかけられたのがきっかけです。最初は何度か断ったのですが、「このままでは会社を畳むことになる」という話を聞き、覚悟を決めて入社しました。もともと幼い頃から職人たちが働く姿を見て育っていたので、抵抗はありませんでした。
とはいえ、いざ入ってみると製造業は飲食と勝手が違い、学ぶことも多かったですね。特に革の知識は非常に奥深く、ウイスキーやワインと似ていて、産地や製法によって品質が大きく変わる。自分の“オタク気質”が幸いして、今ではその知識も一つの強みになっています。
――経営者として大切にされていることは何でしょうか?
何より「自立した経営」です。会社の株も自ら買い取り、誰にも左右されず、自分の判断で責任を持って経営できる体制を整えました。
伝統を受け継ぎながらも、自分の代で新たな価値を築いていきたいと考えています。商売の本質は、売るものが変わっても変わらない。だからこそ、次の100年に向けて、時代に合わせた“変化”を恐れずに進んでいきたいですね。
御用聞きでは終わらない、提案型の誠実な仕事を目指して
お仕事をされる上で、大切にされている価値観について教えてください。
お客様に対して一番大事にしているのは、「御用聞き」で終わらない姿勢です。
私たちは基本的にOEM/ODMを中心とした受託業務が多いですが、言われたことをただこなすのではなく、こちらからもしっかりと意見や提案ができるよう、知識と判断力をもって臨むようにしています。
「それは違うと思います」と言える誠実さと、1言われたら3返すような提案力、この2つを意識しながら、お客様と信頼関係を築くことを心がけています。
社内での組織づくりや社員への関わり方で意識されていることはありますか?
当たり前のようなことですが、基本的な礼儀や姿勢をとても重視しています。例えば、挨拶をきちんとする、人の話をしっかり聞く、自分の仕事に責任を持つといったことです。
以前は部署ごとにフロアを分けていましたが、現在は全員が1フロアで働く体制に変え、日常的なコミュニケーションを大切にしています。
私自身も冗談を交えながらよく話しかけるようにしていて、自然な雰囲気の中で連携が取れるよう心がけています。
人材採用や育成についての考えをお聞かせください。
正直なところ、今は私が営業から経営まで全てを担っており、人手が足りていないのが現状です。採用しても、すぐに辞めてしまうこともあり、なかなか難しさも感じています。
それでも、最近はしっかり成長してくれている社員もいて、現場での経験を通して一緒に育っていく感覚を大事にしています。マニュアルではなく、人に合わせて育てるというのが今のスタイルです。
世界に目を向け、自信を持って挑み続けてほしい
最後に、経営者やこれから独立を目指す読者の方々へメッセージをお願いします。
世の中、今は本当に先が読めない時代です。うちの業界もそうですが、生活に必須ではない分野ほど厳しさが増しています。でも、だからこそ“アンテナを張って学び続けること”が大事だと思うんです。
経営って、自分のためだけじゃ続きません。社会のため、誰かのため、そういう視点がきっと必要になってきます。綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、やっぱりそこに本質があると私は思っています。
日本人には世界で戦える力がある。もっと自信を持って、自分の技術や知恵を武器にして、堂々と外に出ていってほしいです。一緒に頑張りましょう!