動物と人の幸せな共生をめざして─獣医師が語る未来へのまなざし

40年以上にわたり動物医療に携わり、動物病院の運営から野生動物の管理まで幅広いフィールドで活動してきた獣医師。

彼が一貫して大切にしてきたのは「人と動物のより良い関係を築くこと」です。 犬や猫だけでなく、畜産や野生動物までを見つめてきた経験から導き出された想い、そしてこれからの動物医療・ペット業界に対する展望を伺いました。

犬や猫の診療から野生動物管理まで地域に根ざした幅広い活動

現在の事業内容と特徴について教えてください。

当院は犬や猫を主体とした動物病院の運営を中心にしています。私の家族は皆獣医師で、息子たちもそれぞれの道で活躍しています。長男は臨床を継ぐ準備をし、次男は野生動物管理に携わっています。

野生動物管理では、イノシシやニホンザルの被害調査や生息調査を行い、「どこに群れがいて、どう動いているか」を把握して行政に報告し、農作物被害を減らすための対策を一緒に考えます。

現場は山中や農地で、自動撮影カメラを設置したり、足跡やフン、群れの声を頼りに調査することもあります。自然と人の境界に立つ仕事でもあるのです。

ドッグランを30年以上運営してきた理由を教えてください。

愛知県内でも2番目に早くドッグランを始めました。親から譲り受けた土地をどう活用するか考えたとき、「犬と飼い主が一緒に遊び、学べる場所にしよう」と思ったのです。

無料に近い形で解放し、運動会やしつけ教室を開きました。自由に走らせるだけではなく、飼い主との関わり方や社会性を学ばせる場所にすることが目的でした。

実際に、ここでの経験で、「散歩中に引っ張りまわすことがなくなった」「他の犬との距離感がうまくとれるようになった」と言われることもあり、これこそがドッグランを利用してもらう最大の意義だと考えています。

病気の治療だけでなく予防を重視されているのですね。

はい。診療では必ず「飼い方」や「食事」に触れます。病気になってから治すよりも、普段の環境や習慣を整えるほうが動物も飼い主も幸せです。

例えば「散歩中の引っ張り癖」がワガママを助長し、ストレスや病気に弱い身体にしてしまうこともあるので、診察の合間に適切な首輪やリードを使い、行儀のよい散歩ができるよう、一緒に練習することもあります。

短期的には収益につながりにくいのですが、結果的に飼い主から信頼され、些細な事でも相談に来ていただけ、長い間通っていただける、それが病院の大切な存在意義だと思っています。

カブトムシやカエルとの出会いが教えてくれた“命の儚さ”

獣医師を志した理由やキャリアの転機を教えてください。

高校時代に獣医学科の存在を知り、どうしても獣医師になりたいと強く思いました。 しかし受験には一度失敗し、畜産学科に入学。そこで牛、豚や鶏に関わる学問に触れたことは大きな財産にはなりましたが、心の中では「やはり獣医になりたい」という思いしかありませんでした。 そこで、両親には本当に申し訳なかったのですが、意を決し、卒業と同時に再挑戦することにしました。 幸いにも獣医学科に合格し、やっと現実の人生設計に獣医という職業を書き込むことができ、その夢の実現に、年甲斐もなく大泣きしてしまいました。

子ども時代の自然体験は、今の診療にどう影響していますか。

岡崎市の山間で育ち、家の前にもイノシシが出るような環境で、夏はカブトムシやクワガタを捕まえ、カエルやトカゲ、小鳥を持ち帰っては飼ってみるんですが、その正しい飼い方ができる訳もなく、ほとんどが栄養不足やストレスで死んでしまいます。

命の儚さと、人の思い通りにはならない自然を何度も体感しました。そうした体験の中から「動物の幸せを第一に考える」姿勢が育まれたと思います。

小さな生き物との出会いと別れを繰り返した子ども時代は、獣医師としての根っこが育った原風景でもあります。だからこそ今も診療室では、ただ治療するだけでなく「その子が本当に安心して幸せに暮らせているのか?」など、問い続けています。

産業動物の現場で学んだことは

獣医師として最初に関わったのは牛や豚でした。診療だけでなく、農家の飼育環境、衛生管理、経営指導まで担うのが仕事でした。

動物を正しく飼い、健康で幸せに育てることが、その家族に幸せな暮らしをもたらすことになります。

この経験は、犬や猫の臨床に移ってからも 「動物の幸せ」と「飼い主の暮らし」を切り離さない姿勢につながっています。

世代交代を見据え、息子たちへ受け継がれていく価値観の違い

病院運営において、社員との関わりで大切にしていることはありますか。

「動物と人の幸せを第一に」という思いは、スタッフ全員と共有しています。診察が終わった後も、飼い主へのアドバイスや生活改善の提案を丁寧に行います。

例えば「食事はドライフードだけでも、与え方を工夫すれば、互いの関係性をもっと深めることができる」とか「散歩の時間こそ、飼主の魅力や頼りがいのあるところを見せつける、散歩は学びの時間だ」といった日常的な当たり前の関わりに変化をもたらすヒントやアイデアを提示したりもします。

ちょっとした知識が飼主の価値観を変え、動物との関わり方に変化をもたらすこともあります。

また、小さな声掛けが飼い主にとって大きな安心につながることもあります。

診察の合間に世間話を交えながら健康状態を気軽に確認することも、信頼関係を築く上で必要なことと思います。

若手の育成や評価はどのように。

症例だけでなく、「飼い主との対話」や「生活改善への貢献」も大切です。

診療カンファレンスといった堅苦しいものではありませんが、「治療方針」と同じように「日常的な接し方」についても話し合うことがあります。

動物を扱う時、動物の習性や心理を読み取ることができなければ、上手に接することはできません。動物の接し方や扱い方も飼い主の信頼を得るには大切です。

私の求める動物医療は、飼い主の暮らしの一部である動物との関わりに立ち入ることにもなるので、飼い主との信頼関係は欠かせません。

しかし、上手くいかない事もありますが、それも良い経験であり、それをそのままにせず、何が問題なのかを一緒に考え、自ら学習とする姿勢も促します。

事業承継にあたって息子さんたちとの価値観の違いはありますか。

長男は臨床を継ぎ、次男は野生動物管理を広げようとしています。それぞれの考え方に違いはありますが、それはむしろ病院に厚みをもたらすものだと思っています。

私のやり方をそのままなぞる必要はありません。「動物と人のより良き関係を築く」という理念のもとに、親子であっても多少の価値観の違いはあると思います。個々の個性は尊重しながら、自分なりの考えで歩んでくれれば、世代交代は自然な流れとなって、今後の病院運営にスムーズに展開していくと思っています。

命を“いただく”という視点から考える、人と動物の関係

いま業界が抱える構造的な課題をどう見ていますか。

犬猫の数はこの15年ほどで半減しました。にもかかわらず動物病院の数は増え、一院あたりの患者数はさらに減っています。

結果として、高度な医療機器の導入や過剰医療と言われかねない治療による医療費の高騰を招いています。

また、動物取扱業の取得の難しさからブリーダーは減少し、子犬や子猫が高価になり、子供たちが「犬が飼いたい」と願っても、普通の家庭の経済状況では、動物飼育のハードルは高くなりすぎました。

動物と暮らし、子どもたちは心を育み、お年寄りは心癒される社会は、今後、ますます必要になると思います。しかし、一部のお金持ちにしか動物が飼えなくなってしまうようなことは、ペット業界として、絶対に避けなければいけません。 しかし、前途は厳しいものです。

「殺処分ゼロ」や地域猫の議論をどう捉えていますか。

「殺さない」ことを絶対視する風潮がありますが、それは動物にとって本当に「幸せ」でしょうか? 人に馴れない猫が、交通事故の危険にさらされ、寄生虫や慢性病に苦しみながら生き続けるのは、むしろ「不幸」です。

動物が「生きていれば幸せだ」と考えるのは、一見、心優しく感じますが、それは、人の「生命」に対する価値観です。 実際に、動物の‘’命‘’を広い視点から見れば、ある‘’命‘’が絶たれた時でも、その‘’命‘’が他の‘’命‘’を育み、幸せをもたらす現実が自然に存在していることに目を向けてください。それは人の「生命」ではありえないことです。

例えば、草食動物が肉食獣に食べられることは罪悪ですか? また、牛、豚、鶏のような家畜は、人の幸せのために毎日どれだけの多くの‘’命‘’が絶たれているか考えたことはありますか?

もし、動物の‘’命‘’を絶つことが罪悪というなら、健全な生態系は保てません。また、人の健康で豊かな食生活はありえません。

長年、獣医師として、家畜、愛玩動物、野生動物と多くの‘’命‘’に直接関わってきました。

その‘’命‘’の在り方に葛藤することは、嫌というほど経験しました。 

猫や犬のように「人に飼育されるべき動物」が、ただエサだけが与えられて安全も確保されず生きているというのは、あまりに「不幸」と言わざるを得ません。その上、生かされる目的や存在意義のない動物がただ生かされている姿を見て、どれだけの人が「幸せな動物」と感じるでしょうか?

このように動物も人も不幸がもたらされるような場面において、その命に終止符を打つという選択肢は、決して罪悪ではありません。苦悩はありますが、救いとなる一面もあるのです。

動物と「食」の関係から学べることは何でしょうか。

私たちが日常的に食べている食肉は、農家が愛情を込めて大切に育てた牛や豚、鶏の命を絶たなければ手に入れることができません。 しかし、私たちは彼らの命のおかげで、健康で豊かな食生活が享受できます。その命に感謝しなければいけません。

ところが、動物の「命は大切」「殺処分ゼロ」を謳っている人たちでも、家畜が屠殺されることを問題視することなく、何ら、ためらいもなく肉を食べています。 

どうして、それが許されるのでしょうか? 何か矛盾していると思いませんか?

これは、「人に飼われる動物」の命に対して、誤解があるからです。

人に飼われる動物には、「生かされる目的」が必ずあります。その目的は、動物がもたらす”癒し‘’であったり、“使役”であったり、”経済”であったり、飼育者それぞれに異なりますが、何らかの「幸せ」を手に入れるためです。

しかし、その「幸せ」な関係が壊れてしまった時、また、それ以上に「不幸」に陥ると予想された時、その関係は終わらせたほうが、飼育者も動物も救われます。

動物には「死」という概念がなく、この先のこと、未来を考えることはできません。たとえ、「死」が迫っていても、「不幸」な気持ちになることはありません。 ただ、目の前で起きている危険に対しては、怖がります。それ故、最期を迎える時は、動物福祉上、恐怖心や苦痛を最小限にとどめることが大切です。 しかし、それまで「幸せ」に生きてこられれば、「幸せ」な生涯であったと喜ぶべきことなのです。「死」という「不幸」を感じてしまうのは、将来の夢を描くことのできる人間だけです。

家畜は生きている間、好きなだけ食事が食べられ、安全な環境でのんびりと暮らし、至福の時を過ごします。その間、生産性は高まり、飼い主の経済も心も満たし、「幸せ」にしてくれます。 しかし、その後、その生産性が低下してしまえば、その命は絶たれますが、その生産物によって、多くの人々に「幸せ」が届けられます。 飼育動物が「不幸」な状況にあっては、飼い主は「幸せ」を手に入れることはできません。

別れのときに『ありがとう』と言える社会を未来へつなぐために

仕事以外で心をリフレッシュさせてくれる時間はありますか。

犬との散歩が一番の楽しみです。毎日、山道を歩きながらカブトムシが集まる木を見て「今日はいるかな?」と探す。季節の草花を眺め、木々の緑の移り変わりを見ながら、身の周りの自然を感じることが日々の活力になります。

また、1,2年に一度は、アフリカ(東アフリカ)に行って、朝から晩までサファリカーに乗って、ただただ無心に野生動物を探しまわり、写真を撮る。これは何より心に活力を与えてくれます。

ちなみに、この写真でカレンダーを作り、販売し、その売り上げでケニアのマサイマラでアフリカゾウの密猟対策を行っているチームの支援を行っています。

アフリカでの経験から得たものはありますか。

20年以上、毎年のようにアフリカへ足を運び、野生動物保護や密猟対策に携わる人々を支援してきました。

サバンナで象やライオンを前にすると、その偉大な命のオーラに心を打たれます。

しかし、この威厳ある動物が、毎年、密猟者の手により数多く殺されているなんて、許されません。野生動物の命の重さ(尊さ)は、その動物が生きるために、どれだけ他の命(資源)を必要としているかで決まりますが、ライオンや象は、陸上の生態系の頂点に位置し、その存在価値は偉大です。 しかし、どの動物も、生物多様性において、それぞれに存在価値があり、それぞれに意味があり、それらにより生態系が形成されます。

野生動物の命は、人に飼育される動物とは全く異なる命であり、人が関わるべきものではありません。 しかし、世界的な人口増加、環境破壊、温暖化による気象変動、また、密猟などによる個体数減少、人類の活動が及ぼす様々な影響により、世界中の自然環境や生態系に致命的な変化が生じ、その結果、多くの動植物が犠牲となっています。

人類は、いち早く何らかの手を打たなければ、地球の歴史上、再び、大絶滅時代を迎えることになります。人類の責任は重大です。

ところで、現在、問題となっている熊の問題は、熊が危険だとして殺処分されるのは、必ずしも正しいことだとは思いません。しかし、現時点では、人に不幸をもたらす危険性のある熊が殺処分されることは、残念ですが、認めざるを得ません。 野生動物の命は、人に侵されるべきではないと考えますが、人との関係性を悪化させてしまった以上、後に、人も動物もより不幸を招くことが予想されます。それ故に、残念なことですが、動物の尊厳を守るために安らかな最期を与えることも必要な選択肢であるということになります。

最後に、読者へのメッセージをお願いします。

犬や猫が高価になり、飼育頭数が減少している今こそ、獣医療が、獣医師や病院のためのものにならないようにしなくてはいけません。飼育者や動物に寄り添った、飼育者や動物のための獣医療であって欲しいものです。

動物との関わりの中で、日常的な散歩、食事、住環境、触れ合いなど――より楽しくより幸せな暮らしのためには、改善とか工夫とか、まだまだ沢山あります。

そして、別れの時には、多くの楽しさや幸せを共有してくれたその子に対して、「ありがとう」と言って送ってあげる心の中に、再び、新しい命を迎えたいと思えるような「再生可能な関係」であって欲しいと考えています。

人に飼われる動物は、「生きていれば幸せ」と考えるのではなく、「幸せに生きているからこそ生きる価値がある」という考えを、「人と動物のより良い関係を築くための原点」と考えています。

多くの人々が、多くの動物について、もっと知って、正しく関わることができれば、次の世代には、さらに心豊かな「人と動物の再生可能な関係」が実現できると信じています。

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