創業から60年以上にわたり、多様な機械修理を手がけてきた株式会社高岡工業所。まさに「機械の救急社」として、困難な修理にも果敢に挑み、顧客から厚い信頼を得てきました。その舵を取るのが二代目社長・高岡氏です。
大学卒業後に大手企業で機械設計を経験し、家業へと戻ってから約30年。数々の苦境を乗り越えながらも「常に前へ進む」という姿勢を貫き、組織の成長と人材育成に力を注いできました。
今回は、会社の現状や経営者としての歩み、社員との関わり方、未来への展望、そしてプライベートでの素顔について伺いました。
目次
創業60年以上の歴史と技術力が支える『機械の救急社』の役割
まずは、現在の会社の状況や事業内容についてお聞かせください。
会社名は「株式会社高岡工業所」と申します。創業は昭和38年10月1日、機械修理を専門とする会社として歩みを始めました。長い歴史の中で積み上げてきた技術力を強みに、お客様の多様なニーズに応えています。
他社にはない強みや特徴を挙げるとすれば、どのような点でしょうか。
やはり「機械修理にこだわり続けていること」だと思います。幅広い種類の機械に対応している点は、当社ならではの特徴です。一般的には「この機械は修理できるけれど、これは対応できない」といった線引きをされる企業も少なくありません。しかし当社では、できる限り幅広く、可能な限り修理をお引き受けするようにしています。もちろん電化製品のような専門外の領域は対象外ですが、産業用機械を中心に「機械の救急社」として多くのお客様に頼っていただいています。
そうなると、相当な技術力が求められるのではないでしょうか。
はい。私たちの強みは「蓄積された経験と技術」にあります。創業以来60年以上の歴史の中で培ってきたノウハウがあるからこそ、難易度の高い修理や幅広い機械への対応が可能なのです。実際に「他社に相談したけれど断られてしまった」といったお客様からご依頼いただくケースも少なくありません。そのようなときに「助かった」と言っていただけることは、私たちにとって大きなやりがいですね。
二代目社長として歩んだ30年 父から受け継いだ経営の姿勢
社長ご自身のキャリアと、事業を継ぐことになった経緯について教えてください。
私は二代目になります。大学を卒業後は一部上場企業に就職し、機械設計の業務に携わっていました。本来は10年ほど働いてから家業に戻るつもりでしたが、父から早めに声をかけられ、5年のタイミングで決断しました。当時は不安もありましたが、父が健在のうちに仕事を学べたことは今につながっています。何も知らないまま後を継ぐのではなく、現場で引き継ぎができたのは大きかったですね。
実際に経営を担われてから、印象に残っている出来事はどのようなものがありますか。
いくつもありますが、大きな出来事は二つです。まずは父の死去です。先代が亡くなった後は会社をどう維持するか不安もありましたが、社員は誰一人辞めず、一丸となって支えてくれました。その時に「この会社は人に恵まれている」と強く感じました。
もう一つは、取引先の大手企業が民事再生となったときです。影響は大きく、正直厳しい状況でしたが、社員全員で仕事を分担し、効率的な体制を整えるきっかけになりました。時間はかかりましたが、結果的に会社としての底力を高められたと思います。
厳しい局面を乗り越える中で、大切にされてきた考え方はありますか。
私はじっとしているのが苦手で、立ち止まるよりも前に進み続けたい性分なんです。スポーツの経験も多少影響しているかもしれませんが、動き続けることで打開策が見えてくると信じています。常に前を向いて挑戦を続ける姿勢が、経営の中でも大切だと考えています。
社員21名との日々の対話が生む信頼関係と人材育成
社員の方は何名いらっしゃるのでしょうか。また、普段どのようにコミュニケーションを取られているのか教えてください。
現在は21名ほど在籍しています。基本的には毎朝顔を合わせることを大切にしており、現場に出発する前に声をかけて送り出しています。直行直帰の社員とは毎日会えるわけではありませんが、できる限り一人ひとりと接点を持つよう心がけています。
社内では業務の話だけでなく、帰社後に会議室で軽く食事や雑談をすることもあります。仕事のことに限らず、プライベートな会話も交わされるので、自然と距離が縮まる雰囲気になっています。
社員の方々にどのように成長してほしいと考えていますか。
一人ひとりがそれぞれの技術を磨き、同時に人としても成熟していってほしいと思っています。新卒採用は最近少ないですが、中途で経験が豊富な人ばかりではありません。ですから入社後は、OJTを通して基礎から技術を学んでもらい、仕事の現場を経験しながら成長できるようにしています。特別な教育制度があるわけではありませんが、実践の中で技術を伝えることを大切にしています。
社員の皆さんにとって、働く魅力ややりがいはどのようなところにあると感じますか。
大きいのは「仕事を通してさまざまな現場に行けること」でしょうね。対応範囲は広く、北は宮城県、南は岡山県まで出張します。特殊な機械を扱う現場での仕事は緊張感もありますが、その分やりがいも大きい。
私自身も以前は現場に同行していましたが、今は必要に応じてサポートに回る形です。現場の経験は社員にとって刺激になり、自分の技術を試す場にもなっています。
独立後も続く縁 社員とのつながりが描く未来
今後の展望について、特に社員の方々にどう成長してほしいとお考えですか。
社員には、ここで技術を磨いた上で、いずれ独立を目指す人が出てきても良いと考えています。実際、これまでにも独立した社員が何人もいて、それぞれの道で頑張っている姿を見ています。会社としても、そうした挑戦を後押しできる存在でありたいと思っています。
独立や転職といった形で組織を離れても、その後もつながりは続くのでしょうか。
退職後に別の取引先で仕事をすることになった人もいますし、協力関係として関わり続けているケースもあります。真剣に仕事に向き合ってくれた社員であれば、その後も長い付き合いが続くものです。お互いに信頼関係を築いてきたからこそ、組織を越えて支え合えるのだと思います。
会社として、今後どのような挑戦を続けていきたいと考えていますか。
創業から60年以上経ちますが、これからもお客様にとって「頼れる存在」であり続けることが目標です。時代が変わっても、必要とされる技術や誠実な姿勢は変わりません。これまで築いてきた信頼を大切にしつつ、新しい世代にも技術と精神を受け継ぎ、次の未来につなげていきたいと思います。
プロ野球、ソフトボール、マジック 多彩な趣味に込めた人生観
お仕事以外での趣味やリフレッシュ方法について教えてください。
趣味はいくつかあります。まずはプロ野球観戦ですね。地元の横浜ベイスターズを応援していて、昨年はクライマックスシリーズや日本シリーズも含めて61試合を観戦しました。それから現在もソフトボールの現役プレイヤーとして月に2〜3回試合に出ています。小学校から野球、中学ではバスケット、高校はバレーボール、大学ではソフトボールと、ずっと球技を続けてきました。動いている方が性に合うので、スポーツはずっと欠かせない存在です。
スポーツ以外にも多彩なご趣味をお持ちだとうかがいました。
はい、文化的な趣味ではマジックをしています。小学校の頃から興味があり、老人ホームや学校、地域のイベント、結婚式などで披露することもあります。仕組みを解き明かすのが好きで、ネタを理解して自分で工夫するのが楽しいんです。
また、オートバイで山に出かけたり、キャンプを楽しんだりと自然に触れる時間も大切にしています。友人や仕事仲間、会社のメンバーなど一緒に行く相手によって雰囲気が変わり、それぞれに良さがあります。
最後に、この記事を読む経営者やこれから経営を志す方へメッセージをお願いします。
私たちは「機械の救急社」として、工場やプラントでの機械の不具合やお困りごとがあれば、いつでもご相談いただきたいと思っています。そして、若い方や新しく経営を始められた方に伝えたいのは、あまり考えすぎずにまずは行動してみることの大切さです。
立ち止まっているだけでは何も進みません。行動してこそ新しい景色が見えるし、そこから次の可能性が広がります。ぜひ、恐れずに挑戦を続けていただきたいですね。