稲作農家の高齢化や後継者不足が進む中、日本の食料安全保障はかつてない危機に直面しています。
こうした現状を打開し、次世代に安全な食をつなぐために立ち上がったのが「これから合同会社」です。
自治体と連携し、稲作農家の後継者マッチングと伴走支援を行うこの事業の背景や想い、そして未来への展望について伺いました。
目次
食料安全保障を支えるために立ち上げた「これから合同会社」
事業の内容について教えてください。
事業としては、自治体と連携して稲作農家の後継者をマッチングし、想定3年間の伴走支援を行います。
ひとつは、稲作農家の後継者を新たに生み出すこと。そしてもうひとつは、その後継者がしっかりと農家として一本立ちできるよう、3年間にわたって伴走支援をしていくことです。
この仕組みを自治体と連携して運営することで、地域の田んぼを守り、次世代に日本の食料基盤をつないでいくことを目指しています。
この事業を立ち上げた背景やきっかけは何だったのでしょうか?
稲作農家は農業の中でも特に高齢化が進んでいる分野です。ここ数年、世界では戦争や紛争が顕在化し、また大きくはこれとは別の要因ですが、日本国内でも2024年から2025年にかけて米の価格が突然大きく高騰しました。
そうした中で、日本の食料安全保障を考えたときに、日本の食料自給率がカロリーベースで38%しかないという現実が重くのしかかってきました。「もし有事のとき、日本は本当に自国で食料をまかなえるのか」という不安を、個人的にも強く感じていました。
私には3人の子どもがいます。上の2人はすでに社会人ですが、次の世代にしっかりとした日本を引き継げるのかを考えると、「自国で食料をまかなえる国であること」は非常に重要だと改めて実感しました。
昨年、農業関連の大きな組織と取引する機会がありました。現場の方々も、これまでの日本の農業政策が必ずしも成果を上げていないことを認識していましたが、政府や大企業だけで現状を大きく変革するのは難しいという現実も見えてきました。
私は以前、大手人財サービス業で役員をしていましたが、国や自治体の予算を活用して中小企業を支援する伴走型の事業に取り組み、成果を上げた経験があります。このスキームを農業分野に応用し、若い担い手を育成できるのではないかと考えました。さらに、過去の減反政策や高齢化の影響もあり、日本の田んぼは年々減少しています。このまま農地が失われれば、日本の食料基盤がさらに脆弱になる可能性がある。田んぼをこれ以上減らさず、未来に引き継ぐためには、民間の力で現場に即した仕組みをつくることが必要だと考え、この事業に取り組む決意をしました。
ビジネスの力で課題を解決する─起業の背景と原動力
経営者になりたいという意識は、身近な環境から影響を受けたのでしょうか?
特に身近に経営者がいたわけではありません。父は証券会社に勤めるサラリーマンでしたが、私は学生時代から周囲の人たちに「普通のサラリーマンは向いていない」とよく言われていました。
「学校の先生か社長のどちらかが合っている」という言葉もよく耳にし、それが自然と自分の意識に残っていたのだと思います。
サラリーマンに向いていないと言われた理由は、どのように考えていますか?
今になって思うと、私は「人の役に立ちたい、自分が正しいと思うことを曲げられない性格」なんです。会社の方針に従うために、自分の信念を押し殺して働くのはとても苦手でした。
そうした性格から、早い段階で「この人はサラリーマンでは大変だろう」と思われていたのだと思います。
ただ、これまでの私は環境を柔軟に変えながら自分の考えを大事にし、成果を出すことでなんとかやってこられました。そうした生き方が、今の独立という選択にもつながったのだと感じています。
独立後に実感した「人とのつながり」の力
お仕事をされる上で大事にしている価値観や理念を教えてください。
「働くとは“はたを楽にすること”」という言葉を大事にしています。ここでいう“はた”は、自分に関係している人のことです。働くことで、周りの人の負担を減らしたり、楽しみを増やしたりできる。それが本来の意味だと考えています。
誰かが得をして誰かが損をするという関係ではなく、働くことで周囲や世の中にプラスをもたらせるような価値を生みたい。これが自分にとっての「働く意味」であり、その姿勢を常に意識しています。
独立後に実感したことはありますか?
(このインタビュー時点で)私はまだ会社を立ち上げて2カ月ですが、独立して最も実感したのは「人とのつながりの大きさ」です。当初は半年後くらいの独立を考えていたのですが、諸事情で予定より早まり、急いで会社の登記を行いました。その時は正直不安も大きかったです。
ところが、独立の発信をした途端、思いがけないほど多くの方から声をかけていただきました。「一緒にできないか」「こういう話があるけど興味ない?」といった連携の提案を受け、想定より早く事業が形になってきています。
その背景には、営業時代からの考え方も関係しているのでしょうか?
そう思います。私はずっと「ギブアンドテイクより、まずはギブ」という考え方で仕事をしてきました。相手の役に立つことを前提に関係を築くことで、結果的に自分にも返ってくる。営業時代からその姿勢を貫いてきたことで信頼関係が積み重なり、独立後も助けていただける環境ができていたのだと感じます。
これまで「人の役に立つ」を前提に働いてきたことを、周囲が見ていてくれた。その積み重ねが今の自分を支えてくれていると実感できた2カ月でした。

「これからがこれまでを決める」未来を見据えた展望
これからどのような未来を描いていますか?
私が独立した最大の目的は「ビジネスの力で世の中を良くする」ということです。営業の世界で長年培ってきた経験を社会に還元し、地域課題を解決する事業に取り組むことを使命と考えています。
今取り組んでいる稲作農家の後継者マッチングと伴走支援もその一つです。自治体の公共予算を活用しながら地域の課題を解決するスキームを確立し、日本の食料安全保障に貢献していきたいと思っています。2024年のデータでは農家数が前年比で約5%も減少しており、このままでは耕作放棄地が急増しかねません。農業を志す若者は増えているのに、収穫で初めて収入を得られる農家は若者にとって最も参入障壁が高い産業なのです。これまでの仕組みのままでは手遅れになります。今、行動を起こさなければ本当に日本の田んぼが失われてしまうという危機感を多くの方々と共有し、行動していきます。
食料問題以外にも関心を持たれている分野はありますか?
少子化対策も大きなテーマです。実はサラリーマン時代に日本最大の結婚相談所ネットワークの加盟運営権を取得しており、出会いのきっかけづくりにも携わっています。現代は出会い自体は溢れていますが、結婚や子育てに踏み出す人が減り、子どもの数は私たちの世代の3分の1ほどになっています。
日本に生まれ育ち「ここで生きていきたい」と思える人が減っていく現状は、社会として健全ではありません。
だからこそ、食料問題と同じように、少子化にもビジネスを通じてプラスの影響を与えられる取り組みをしていきたいと考えています。
事業を進める中で、仲間や組織づくりについてはどのように考えていますか?
私は「経営」は手段であって「世の中に貢献したい」という目的が先にあります。自分一人でできることには限界がありますから、同じ志を持つ仲間と一緒に取り組んでいきたいと思っています。
地域の雇用にも貢献できるよう、事業を一定の規模まで成長させることも視野に入れています。人生の残り時間を考えれば、やりたいことに全力で取り組む必要がある。
だからこそ、一緒に未来をつくる仲間と挑戦できる会社に育てていきたいと思っています。
読者へのメッセージ─「これからがこれまでを決める」
最後に、このインタビューを読まれる経営者やビジネスパーソンの方々に向けて、メッセージをお願いします。
経営の場に身を置くと、自分に足りない知識や経験を痛感することもありますが、学びや人との出会いがその壁を越えるきっかけになります。私自身も、約10年前に経営を学ぶ場に飛び込み、それが今の事業につながっています。
世の中にはチャンスもリスクも溢れていますが、重要なのは「自分がどうしたいか」を明確にし、その軸をぶらさずに選択していくことだと思います。制約があっても、自分の信念を持ち続けることで道は開けていきます。会社名に込めた「これからがこれまでを決める」という言葉は、過去の経験もこれからの生き方次第で意味が変わるという想いを表しています。この言葉が、未来に向けて一歩を踏み出そうとする方の応援になれば嬉しいです。