800年36代続く歴史と江戸期から続く茶業、古来より伝わる稀少種在来茶を守るために――「ニーズに応えない」から生まれたオンリーワンの価値

楠森堂 代表 河北 幸高 氏

国の登録有形文化財として残る父方の実家と、その土地に連なる歴史を守りたい――その思いから、かつて「業界から否定された」昔ながらの在来茶に可能性を見いだし、約20年にわたる再興に向けた様々な活動を行ってきました。茶業を受け継いだ2006年当時、畑に残っていたのは古い茶の木「在来種」。「苗」から育てる現代の改良品種茶に比べ「種」から育てた日本古来の在来茶は約半分の収穫量。「量ではなく価値を高め、家を守るための財源を生み出す」と語る河北さんに事業の今と、これからの挑戦を伺いました。

事業の中心は「家と歴史を守る流れ」をつくること

——事業の現状と、理念・ビジョンを教えてください。

家を守ることが出発点です。父の実家は国登録有形文化財。元々武士の家系、源平合戦で戦功を挙げ源頼朝からこの地を賜り800余年36代続いています。先祖をさらに遡れば名前がわかる範囲で私で95代目、浮羽町史に河北家は三毛入野命(ミケイリノノミコト)の裔であるとの記述もあります。

そういった背景もあり、代々続いてきたこの家この地を守り続けなければならない宿命、自然と流れが作られるようで逃げたくても逃げられないという感覚があり「自分が守るしかない」という思いが強いです。

——地域との関わりも強く語られていました。事業と地域はどうつながっていますか。

文化財の家や人手を要し技術伝承を必要とする伝統行事など歴史的環境を守り続けるには、この地域が元気じゃなければ成り立ちません。地域に溶け込み、幅広い分野で深い人と人とのつながりと信頼関係を構築し続けなければなりません。長期的・継続的に多くの方の協力を必要とします。

2006年に家族と共に移住した当時、この地への希望も可能性も感じない若年層が流出し続け、高齢化が急速に進み衰退の一途をたどっていました。

私がこの地の転機と感じるのは移住・就農して8年経過した2014年。総務省が2009年度から実施し始め現在に至る地域おこし協力隊制度が本市でも採用され、それがうきは市では見事にはまりました。

目に見える結果として現れ始めるまでは数年を要しましたが、外からの斬新な視点と様々な切り口、隊員みなさんの熱意や行動力により新しい風が取り込まれ地域の空気が徐々に変わっていきました。

——価値観や信条として、経営判断の軸にしているものはありますか。

長男が通う地元の小学校に、ひょんなきっかけから長期的に直接深く関わることになる出来事があり、その2年後(2012年)に娘が入学するタイミングで本校PTA役員就任への声がかかり、就任承諾。1期2年のPTA副会長、そして、1期2年のPTA会長を2期4年間務め、結果的に娘が小学校に在籍していた学校生活6年間をともにすることとなりました。

「やる以上は、しっかり関わる。」「子どもが変われば、大人が変わり、地域の雰囲気が変わり、そして地域の未来も変わっていく。」この2つの考えを大切にしています。

今の子たちが大人になり地域に関われば、その時代の子どもたちがさらに変わると信じ、学校行事や地域行事、長きにつづく様々な慣習を変え、新たな取り組みも積極的に行っていきました。

ただ、この地に移住就農して13年目、このタイミングで周囲から「お前はこれまで何をしてきたんだ」というような否定的な言葉を複数の方から発せられ、それ以降地域に直接関わることが精神的にきつくなり、今は少し地域と距離を置いています。

ただ、地域の流れは良くなっている実感はありますし、この地への希望も可能性も感じない若年層が流出し続け衰退の一途をたどっていた移住当時に比べて町の雰囲気は大きく様変わりしていると感じます。

キャリアが変えた視点――「オンリーワン」と「ニーズに応えない」

——お茶の世界に入る前は、どんなキャリアだったのですか。

私は別の地で生まれ育ちました。うきは市の父の実家を守るために2006年に仕事を辞め家族とともに移住し現在に至ります。以前は物流 宅配 最大手の会社に20歳から30歳までの10年間勤めていました。

入社当初は日々の業務に余裕があったものの、次第に過度な長時間労働やサービス残業が当たり前の環境となっていったのです。本当にハードで、10年間勤務した後半の5年間は、仕事をさばくために1秒でも縮める限界を追求するアスリートのような感じで日々働いていました。

結果的にこのことで体力、忍耐力が鍛えに鍛えられ、移住就農してからの活動に大いに活かされました。 

——「ニーズに応えない」という言葉が印象的でした。どういう意味でしょうか。

前職では「オンリーワンであれ!」「お客様のニーズに応える!」という2つの言葉を聞かされつづけてきました。

退職し就農、茶業を受け継いだ2006年当時、畑に残っていたのは古い茶の木「在来種」。在来茶は時代遅れの規格外の茶として現代茶業界からの評価は極めて低く、茶取引市場から排除・消滅しつつあり下級茶の混ぜ物の茶葉として粗末な扱いをされていました。

農業経験も茶の知識もまったくなかった私は「ザイライ」と言われて安く買い叩かれる自分の家のお茶がどういうものなのかを調べました。

福岡県内において在来茶を主力生産するのは私が唯一の存在であり、全国でも生産者はごく僅かであるということ。価値を失った在来茶に関する情報などインターネット上にもほとんどありませんでした。

「これはオンリーワンだ!」と感じました。前職で染みついた感覚があったからだと思います。

付加価値を高め広めることができれば、他と一線を画す明確な差別化ができると強く感じたのと同時に、世の中に価値が認められても「ニーズには応えない」と決めました。

価値が認められ自分が中心となった流れをつくれれば、自分が売り出すものに価値を感じる人が残る。ニーズに引っ張られず、流行に振り回されず、価値に共感してくださる方を積み上げ広げていく、という考え方ですね。

組織運営は「基本一人」――だから伝え方を磨く

——組織の運営や、日々の仕事の進め方を教えてください。

茶園管理は基本一人で行っています。年齢的にも体力は落ちていきますから、畑は縮小して、その分、価値を上げる方向に切り替えています。当初より面積当たりの単価は約5倍まで高まりました。

昔は5ヘクタールで上げていた収益を、今は1ヘクタールで上げるようなイメージです。

EC販売が主力で、パッケージ詰めや注文対応、発送作業は妻の担当です。外部に協力いただくのは新茶摘み採り時期の数日間だけです。在来茶の価値と魅力と現状を伝える情報発信に一番力を入れています。

——価値を伝えるうえで、具体的に意識していることはありますか。

どう表現すればより価値が伝わるか、より魅力的に伝わるか、伝え方は常に模索しています。

初めてホームページを開設したのは2010年。私の兄弟の知人の方から作成していただいた手作り感のあるサイトでした。これが、稀少な在来茶の存在を全国に広く知っていただけるきっかけとなりました。

2019年に本格的なWebサイトを作成。つくったのは、東京・吉祥寺にある親戚のデザイン会社で、家への思い入れもあり、話し合いながらお互いの想いの詰まったサイトが出来上がりました。新たなWebサイトとなり、旧サイト時代から受注数は約3倍まで増加してきました。

SNSも活用していますが、そのWeb上で15年以上Blogを続けています。お茶や歴史、想い、地域のこと。話題の内容をさらに深掘りできる多彩なリンク先を設定した仕掛けを仕込んでいます。

色んな方面の方から興味を持たれ価値も伝わるよう常に意識し多彩な切り口の内容でBlog記事を作成しています。

未来は「収益を増やすのみ」――広がり始めた転機の先へ

——事業としての転機や、手応えを感じた出来事はありますか。

バブル崩壊以降、日本茶の国内消費量(急須で飲むリーフ茶)は右肩下がりに歯止めがかからない状況でした。当時は、今のように代金を支払って日本茶を飲むことなどあり得ず、ウーロン茶は有料でも熱いお茶(日本茶)はタダが当たり前。

2013年(平成25年)に日本の和食がユネスコ無形文化遺産に登録されてから、日本の伝統的食文化である和食が世界で注目され、海外で和食ブーム到来。日本食文化の一端を担う日本茶も、海外の健康志向の方から注目され火が付き今の日本茶ブームとなっています。

以前からも時々メディアで取り上げていただくことはありましたが、ここ2〜3年でさらに、「日本茶」特集では国内有名店と並んでご紹介いただいたり、有名店を抑えてTOP見開きページで紹介される機会も出てきました。

メディア紹介だけでなく、商品としても引き合いがあり、ミシュラン店を含む県内外に名を馳せる和食店など数店舗で提供されるソフトドリンクに「楠森堂」の屋号つきで在来茶をメニューにご利用いただいています。

——商品が届いた実感として、印象に残っている反応はありますか。

20年近く前は、在来茶を飲んで「懐かしい味」と言ってくださる年配の方が度々おられました。贈り物でご利用くださったお客様のなかに、高齢のお母様にお茶を淹れたら「お茶の味はこの味だよね」と涙を流され、とても喜んでいただいたとのメッセージをいただいたこともあります。嬉しかったですね。

団塊世代やそれ以前にお生まれのみなさんは日本古来の在来茶を飲んで育っているんです。消費者の方々が知らないうちに、数十年かけて徐々に改良品種茶へ完全移行してしまったのです。

今は、ミシュラン店など「味がわかるお店」のメニューで在来茶をご利用いただけるようになったことはとても嬉しく思いますし、自信をもって紹介できるきっかけとなっています。

仕事観とリフレッシュ――「休めるけれど、考えるのは守ること」

——忙しい日々の中で、リフレッシュはどうされていますか。

うきは市には雄大な景色を独り占めできるポイントがいろいろとあるので、そのような場所に行ってボーっとしています。

——尊敬している方や、影響を受けている存在はいますか。

ホームページでも紹介していますが、この文化財の家「楠森堂」は、うきは市の観光情報や観光案内マップでは「美術評論家・河北倫明の生家」として紹介されています。祖父の弟、私の大叔父にあたります。私が最もリスペクトする人物です。

東京・京都の国立近代美術館の創設にも深く携わり、絵画展で河北氏が振り返った絵は世に出るといわれていました。数々の無名の才能を発掘し、異色の画家たちを紹介するなど美術評論を次々と発表し、埋もれていた夭折の天才画家 「青木繁」や「坂本繁二郎」を世に送り出したことでも知られています。日本近代美術史研究の先駆者で〝明治の岡倉天心〟〝昭和の河北倫明〟と並べられ、美術界の巨人とも称された人です。

もう一人、河北秀也氏。焼酎「いいちこ」のCM、そのボトルデザインやポスターをはじめ、雑誌広告やCMなど、これまで40年以上に渡りそのプロモーションすべてを手がけてきたのがアートディレクター河北秀也氏です。

河北氏とは数年前にひょんなきっかけから交流が始まりました。ここ数年、新たな分野を切り開いてきたイノベーター的存在の方々とご縁が生まれて、意識が変わる部分もあります。

価値を言葉にし続けた先に、次の出会いや取引が連なっていく。その流れを太くしながら、文化財を守るための財源を、これからも積み上げていきたいです。

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