下請けから「地域の伴走者」へ――「愛で街を変える」山口典宏氏の挑戦
有限会社山口陶器 /株式会社菰野デザイン研究所 代表取締役 山口 典宏氏
地域に根ざしたものづくりを長年続けてきた有限会社山口陶器。その現場で培ってきた経験や視点を、より広く地域や企業にひらく取り組みとして生まれたのが、株式会社菰野デザイン研究所です。山口典宏氏は、二つの会社の代表として、事業の実践とデザインの力を往復させながら、人と人、企業と地域をつなぐ活動を続けてきました。本記事では、事業の基盤となる山口陶器での歩みを起点に、菰野デザイン研究所としての現在の取り組み、組織の在り方、そして今後の展望について伺います。
目次
下請けから脱し、自社で責任を持つために始めた事業
――どんな思いで今の事業を始められたのか教えてください。
もともと私は、株式会社菰野デザイン研究所とは別に、有限会社山口陶器の代表として陶器製造を営んでいます。2010年に父から事業を引き継ぎ、当時はOEM100%の下請け中心で仕事をしてきました。
ただ、下請けという立場ではどうしても主導権が相手側にあり、自分たちでハンドルを握れない。そこで「自社ブランドを持ちたい」「すべての責任を自分たちで引き受ける仕事がしたい」と考えるようになりました。
そんな中、デザイン事務所を経営している後輩が訪ねてきたことがきっかけで、ブランドづくりに本格的に取り組むことになりました。伴走してもらいながら進める中で、ブランドができただけでなく、会社そのものが整理され、考え方も大きく変わったという実感がありました。
私は50年間、この地域で生まれ育ってきました。その感謝の気持ちから、社名に「菰野」を入れています。地場産業の中で仕事をしてきたからこそ、「地域が元気でなければ企業も元気にならないし、企業が元気でなければ地域も元気にならない」と強く感じています。その経験から、地方や田舎の企業にこそ、デザインが必要だと思うようになりました。
――「愛で街を変える」というミッションは設立当初からですか。
設立メンバー4人で時間をかけて話し合い、「地域にとって何が必要なのか」を考え続けた結果、たどり着いた言葉です。
「ないなら自分たちでつくる」地域デザインへの挑戦
――現在取り組まれている事業の特徴や強みを教えてください。
私たちが主に取り組んでいるのは、中小企業への伴走型の支援です。コンサルティングという言葉では少し違和感がありますが、外部からその会社を見ることで、経営者自身が気づいていない課題や可能性に気づいてもらう。一緒に走りながら、会社の中身を整えていくことを大切にしています。
地域を元気にするイベントなどにも関わってきた経験があり、そうした取り組みも強みの一つです。イベントと一言で言っても、単なる催しではなく、地域や産業の背景を踏まえた深い意味を持つものに関わってきました。その背景には、山口陶器で培ってきた「新しい地場産業の形をつくる」というミッションがあり、その延長として、今は菰野デザイン研究所として地域や企業に伴走しています。
また、組織の形も少し特殊かもしれません。取締役は3名、さらに2拠点で活動する外部メンバーが1名いますが、いわゆる社員は抱えていません。それぞれが別の仕事を持ちながら関わっており、フルタイムで関わっているのは1名のみです。意図的にそうしているというよりも、さまざまな人が自然と集まり、関わりたいと思える「余白のある会社」になっているのが今の形です。
任せる経営と、家族のような関係性
――組織運営で意識していることはありますか。
私は菰野デザイン研究所を、「いろんな人が自然に集まってくるような、ブランクのある会社」にしたいと思っているんです。別の仕事を持ちながらも、ここに関わることで何かを学びたいとか、地域のために動きたいとか、そういう想いを持った人が関われる場所でありたい。
実際に、関わりたいと言ってくれる人がいれば、仮の名刺をつくって、「一緒に仕事についてきて」とか「ちょっと営業を手伝ってみて」と声をかけることもあります。最初から肩書きや役割を決めるのではなく、人と人との関係性ができてから、自然と仕事が生まれていく。そのほうが、この地域には合っていると思うんです。
意図して組織をそうしているというより、結果として、そういう人たちが集まってきてくれている。形式に当てはめるのではなく、想いや関係性を大切にしながら動いていく。この柔軟さこそが、地域の企業と伴走していくうえで、一番大事な土台になっていると感じています。
――社内コミュニケーションで大切にしていることは。
常にコミュニケーションを取ることですね。本当に家族のような関係です。同じ釜の飯を食う、という感覚に近いかもしれません。社員という形ではありませんが、家族のような仲間と仕事をしています。
――最近、メンバーの「すごい」と感じたエピソードはありますか。
それぞれに本当にすごいところがあります。デザインだけでなく、人を育てる力、クライアントとの高いコミュニケーション能力、周囲を気遣い支える力。役割は違いますが、誰一人欠けても成り立たないと感じています。
変化できた経験が、今の支援の原点
――「山口陶器」での経験は現在の事業にどう活きていますか。
一番大きいのは、「会社は変われる」という経験です。田舎の中小企業は変化が難しく、代々続く会社ほど「当たり前」が固定化しています。私自身、地元の問屋さんとの商売をゼロから変え、ある意味、新しく創業したようなことをやりました。その体験が、今の支援の土台になっています。
――実現したい夢や目標はありますか。
菰野デザイン研究所という、町の名前を掲げてやっているので、町が元気になってほしい、楽しい町になってほしいというのは常に思っています。
たとえば、パリの人は「どこから来ましたか」と聞かれたら「パリから」と言いますよね。横浜の人も「神奈川県」じゃなくて「横浜」と言う。神戸の人も同じだと思います。そういうことじゃないかなと思っていて。
菰野町の人たちが、どこへ行っても「菰野から来たんだよ」と言って、それが全国で通用するような街になればいいなと常々思っています。
「何のために」を最上位に置く経営判断
――経営判断の軸になっている価値観を教えてください。
人にはそれぞれ得意分野があります。僕ができないからといって、「できない」と判断したくない。誰かができるはずだ、という前提で考えたい。軸にあるのは「元気にする」ことです。菰野町から始まりましたが、賛同してくれるなら、場所は問いません。
また、儲けが最上位に来る経営はしたくありません。もちろん利益は必要ですが、「何のためにやるのか」が先にあり、そのために利益が必要だという順番が大事だと思っています。短期的な数字より、関わる人や企業が元気であり続けることを重視しています。
――ターニングポイントだと感じる出来事はありますか。
劇的な出来事というより、コツコツやってきたことが実ってきた瞬間です。地元には素晴らしい技術があるのに、知られずに終わってしまう企業が多い。私たちが伴走することで、そうした企業が外へ出て輝く。その姿を見るのが一番うれしいですね。私たちは「おせっかい」をしている。そのおせっかいが実ったと感じる瞬間です。
AI時代でも「人と人の伴走」を磨く
――今後の展望を教えてください。
ものづくりの企業を中心に、より多くの分野で伴走できる存在になりたいですね。菰野町に限らず、同じ想いを持つ人たちとなら、県外でも仕事をしていきたい。小さくまとまらず、街に貢献できる活動を広げていきたいです。
――業界の変化についてはどう見ていますか。
AIの存在は脅威でもありますが、うまく使えば大きなプラスにもなります。ただ、人と人が伴走する部分はAIでは代替できません。そこは私たちの強みでもあります。メンバー全員でAIリテラシーを高めながら、AIとも「伴走」していけたらと思っています。
――現在向き合っている課題は何でしょうか。
田舎では、目に見えないものにお金をかけづらい現実があります。ただ、今は物が足りない時代ではなく、逆の時代です。だからこそ、私たちのような存在が必要になると思っています。その価値をどう伝え、知ってもらうかが課題であり、新しい営業スタイルも模索しています。
出会った人それぞれに敬意を払いながら
――尊敬する方はいますか。
特定の誰かというより、その時その時に出会った人の、それぞれの部分に尊敬があります。だから、常に出会う人に敬意を持って生きていきたいです。
――リフレッシュ方法を教えてください。
12歳からラグビーをやっていて、今もチームを持っています。若い子たちの練習を見たり、マネジメントしたり、少し体を動かしたり、そういう時間はすごく楽しいですね。
地域に向き合い、人と向き合い、できることを一つずつ積み重ねながら、伴走という形で会社と街を育てていく――そんな姿勢をこれからも大切にしていきたいと思います。