発明と社会性で舞台を切り拓く。篠原氏が描く、人が育ち、人が輝く演劇のかたち
有限会社シノハラ藝能事務所 代表 篠原 明夫 氏
20歳で芝居の世界に入り、これまでに120作品を超える脚本・演出を手がけてきた篠原氏。アメリカのユニバーサル・ハリウッドへの脚本提供をはじめ、テーマパーク作品、学校や行政から依頼される啓発演劇、読書感想文の指導書、朗読劇、映像制作まで、その活動領域は多岐に渡ります。
演劇を「分かる人だけのもの」にせず、観た人にも、誘った人にも喜ばれる作品を目指す姿勢の根底には、長いキャリアの中で培われた明確な理念がありました。今回は、現在の取り組みから組織づくり、今後の挑戦、そして篠原氏自身の価値観まで伺いました。
社会に届く作品をつくる。シノハラ藝能事務所の現在地
——今、どのような事業や取り組みをされていますか。
ザ・シノハラステージングという劇団として活動していますが、単純な舞台公演だけではなく、かなり幅広く取り組んでいます。僕は20歳から芝居を始めて、作品数はもう120作品を超えています。フリーランスの脚本家・演出家としてはかなり多い方ではないかと思っています。
大きな仕事としては、アメリカのユニバーサル・ハリウッドに脚本提供をしたことがありますし、それが和歌山ポルトヨーロッパに逆輸入されて、長い間上演された作品もありました。それがきっかけで全国のテーマパークからショーの脚本依頼もありました。
また、学校からSNSの使い方をテーマにした芝居を依頼されたり、行政の防災課から避難の仕方を伝える芝居を依頼されたり、教育委員会からいじめに関する芝居を依頼されたりと、社会貢献的な作品が多いのが特徴です。
そこから派生して、脚本家としての力を生かした文章指導にも取り組んでいて、日記や読書感想文の指導も行っています。朗読劇や通常の舞台作品に加えて、最近は短編のYouTubeドラマづくりにも力を入れ始めました。俳優養成所のメンバーと一緒に、舞台だけでなく映像にも取り組む体制をつくっています。
——会社や活動の理念、目指している方向性を教えてください。
一番大切にしているのは、みんなが喜んでくれることです。メンバーもそうですが、やはりお客さんがいてこその作品ですから、どれだけ拍手をもらえる作品をつくれるかを常に考えています。
小劇場の世界では、分かる人にだけ分かればいいという考え方もありますが、僕は若い頃からそこは違うと思っていました。観に来た人が、分かりやすくて、楽しめて、感情が動いて、泣けて、笑えて、「だからまた篠原の舞台を観たい」と思ってくれる作品をつくりたいんです。
作品づくりと教育、その両輪で歩んできたキャリア
——これまでのキャリアについて教えてください。
芝居の魅力に取り憑かれたのは小学校のお楽しみ会。中学の学芸会でも脚本を担当していましたし、高校では8mm映画を撮っていました。でもこれを将来の職業にしようと思ったのは高校2年生の時です。師匠に当たる方の芝居を観て、それまで映画やテレビドラマの世界に行きたいと思っていた気持ちが、生の舞台の迫力で一気に変わりました。20歳で芝居を始め、23歳で独立しました。
27歳の時には声優の専門学校に呼ばれて、演技指導も行っていました。20代で専門学校の先生をするのは珍しかったと思いますが、そこで人に教える面白さに触れましたね。その後、「篠原さんのところで芝居を学びたい」と言ってくれる人が現れ始めて、自分で養成所を立ち上げました。
一度その養成所は、仲間の裏切りが原因で崩壊してしまい、ドミノ倒しのように仕事と人間関係を失っていきました。もう芝居では食っていけないと考え始めた頃、コロナで重症化し、生きるか死ぬかという状況だったとき、「もう一度きちんと芝居と向き合いたい」と思ったんです。何かを始めるには仲間が必要だと思い、再び養成所を作り直しました。
——キャリアの中で、大きな転機になった出来事は何でしたか。
26歳で劇団シノハラステージングを立ち上げ、2本目の作品の時に、美術家がものすごくお金をかけてセットを作ってしまったことがありました。相談もないまま進んで、終演後の精算でとんでもない請求額が来たんです。そこからは芝居どころではなく、その借金を返すことに生活がシフトしていきました。
3本目はもうできないかもしれないと思ったのですが、せめて年に1本はやりたい。でもお金もないし、稽古する時間もない。そこで朗読劇というものにたどり着きました。
当時は今のように情報が多い時代ではなく、朗読劇がどういうものかも分からない。ただ、役者が本を見ながら読むだけではお金をもらえないと思ったので、自分なりに「これなら成立する」と思えるスタイルを試行錯誤して作ったんです。
その作品が演劇界で評判になり、「こんな朗読劇があるんだ」「朗読の世界に新しい風が吹き込んだ」と言っていただきました。しかも、HIV・エイズ差別を題材にした作品だったこともあり、港区の保健衛生課に見ていただいて、区の行事に取り上げられ、さらにエイズ予防財団の推薦で全国展開につながりました。
コロナ以後、演劇界では朗読劇がもてはやされました。稽古量が少なく済んで、衣裳や美術、小道具なんかも要らないのでコスパが良いんですね。故に気楽に始める劇団が増えたのですが、ウチの朗読劇は、普通の芝居並に稽古をします。それは常に新しいスタイルを開発、発明するという意気込みで作っているからなのです。過日の公演では全く日本語の分からないイギリスの方が観にいらっしゃいました。全く日本語が分からないのにカーテンコールでは「ブラボー!」と大きな拍手を下さいました。これは本当に励みになりました。
刺激し合う環境が、人も作品も育てていく
——組織運営やメンバーとの関わりで、大事にしていることは何ですか。
養成所では、同じレベルの人だけを集めるやり方をしていません。プロと素人、20代から60代まで、さまざまな人が一緒に学び、一緒に芝居をつくる環境にしています。これは偶然の出来事だったのですが、実際にとてもいい効果が出ています。
下の人は上の人に引っ張られて伸びますし、上の人も素人の発想に触れることで刺激を受けます。「一般の人はそんなことを考えて芝居をするのか」「そんなアイデアがあるのか」と、新しい視点が生まれるんです。
僕は30年に渡って専門学校や劇団の養成所、プロダクションでの俳優指導を行ってきましたが、何処も年齢やキャリアでクラスを分けるので、成長のスピードが遅いのです。
また、どうしても演出家の指示を待って、その通りに動く人が多くなりがちですが、うちでは僕が教える時間を半分にして、まずみんなでつくる時間を大事にしています。自主的に考えるからこそ、芝居が深くなっていくんです。
余所でできなかった教育法を実践しています。
大人数だからこそできる表現で、映像にも挑む
——今後、どのような挑戦をしていきたいと考えていますか。
今、力を入れているのはYouTubeのショートムービーです。昨日ちょうど7本目をアップしたところですが、これからどんどん作っていきたいと思っています。
舞台はどうしても稽古に1か月から1か月半ほどかかるので、仕事が忙しい俳優さんには参加しづらい面があります。その点、ショートムービーなら撮影日数が2日、3日ほどで済むので、関わりやすいんです。
しかも、うちは人数が多い。世の中のYouTubeドラマは2人、3人、多くても4、5人で作っていることが多いのですが、うちはもっと多くのメンバーが出られます。今回は急いで作る必要があったので4人程度でしたが、今後はちょい役でもいいので、できるだけ多くのメンバーが出られる形にしたいと思っています。
更に企業の周年行事で流すミニドラマや、商品宣伝、企業説明の動画の受注も行っています。老若男女揃っていますので、格安で作れるのが人気です。
そして小さなプロダクションには流れて来ないようなオーディション情報、出演者募集の情報もありますので、時前の作品から飛び出して、一人でも多くの俳優の知名度が上がったら嬉しいなと思っています。