「着る」を、社会課題の解決策へ――COVEROSS®が描く未来の服
hap株式会社 代表取締役 鈴木 素氏
hap株式会社は、アパレル製品の企画から生産までを一貫して手掛けてきた経験を基盤に、独自の機能性加工技術「COVEROSS®」を中心とした素材・製品の研究開発を進めています。気候変動や少子高齢化、健康寿命の延伸といった社会課題を見据え、「近未来の服づくり」を掲げる同社。大学や公的研究機関、企業との連携を通じ、科学的な評価に基づく新しい価値の創出に取り組んでいます。本記事では、創業以来大切にしてきた経営哲学、社会課題に向き合うものづくり、そして自身の脳出血とリハビリ経験から始まった新たな挑戦について、代表取締役の鈴木素氏に伺いました。
目次
科学的根拠をもとに、社会課題を解決する服づくり
――現在の事業内容や特徴について教えてください。
当社はもともと、百貨店やセレクトショップなどに向けて、アパレル製品の企画から生産までを一貫して行ってきました。
現在はその事業基盤を生かし、独自の機能性加工技術「COVEROSS®」を中心に、研究開発から評価、量産化、販売までを一貫して手掛けています。COVEROSS®は、用途に応じて快適性、暑さ対策、衛生、ウェルビーイングなどの機能を付与する技術です。
その技術力と事業性が評価され、2023年には「技術経営・イノベーション大賞 内閣総理大臣賞」を受賞しました。
目指しているのは、単に機能を付けた服ではありません。酷暑や少子高齢化、介護・医療現場の負担などの社会課題に、服という身近な存在から解決策を提案することです。研究開発から科学的評価、量産、社会実装まで取り組めることが当社の特徴です。
――理念やビジョンについて教えてください。
社名の「hap」は、「Happy」に由来しています。創業以来、「ファッションで人々をhappyに」という理念を大切にしてきました。デザイン性だけではなく、機能性や快適性を通じて、着る人の生活そのものをより良くしたいと考えています。
将来的には、日常生活はもちろん、酷暑地域、寒冷地、災害現場、医療・介護現場、さらには宇宙や南極、砂漠のような過酷な環境でも、人が安全かつ快適に過ごせる服を開発したいと思っています。
現在取り組んでいる技術には、知的財産や共同研究に関わるため、まだ公表できないものもあります。新しさだけを追わず、人の役に立つ技術か、科学的に評価・社会実装できるかを確認しながら開発を進めています。
「社会課題を解決できるか」が経営判断の軸
――経営者になられた経緯を教えてください。
もともとは商社に勤務していましたが、いつか自分自身で事業に挑戦したいという思いがあり、2006年にhap株式会社を創業しました。
学生時代には、当時のベンチャー企業でアルバイトを経験し、新しいことに挑戦する面白さを感じていました。その後、一度企業に入り、組織や商流、ものづくりの仕組みを学んだ上で、自ら会社を立ち上げました。
創業後は国内外の生産現場を訪れ、アパレルの企画、生産、品質管理、販売を実践的に学びました。その経験が、現在の研究開発や事業化の基盤になっています。
――仕事をする上で大切にしている価値観は何でしょうか。
経営判断の大きな基準は、「その事業が社会課題の解決につながるか」ということです。利益を生み出し事業を継続することは欠かせませんが、目先の売上だけを追わず、本当に人の役に立ち、社会に必要とされるものをつくりたいと考えています。
マーケティングの力だけに頼って商品を売るのではなく、科学的な評価に基づく価値のある商品が、正しく理解され、評価される世の中であるべきだと思っています。
国内外の大学や研究機関と連携し、環境負荷や快適性、暑熱対策、感性評価などの研究開発を進めています。私自身も信州大学繊維学部の特任教授として、企業経営の立場だけでなく、研究・教育の現場にも関わっています。学生や研究者と共に、未来の衣服や健康寿命の延伸につながる研究・教育に取り組むほか、大学の研究成果を企業の技術や製品と結び付け、社会実装へつなげることも自分の役割です。
日本が持つ繊維技術やものづくりの力を、国内だけでなく世界へ発信していくことも、私たちの重要な使命だと捉えています。
主体性を尊重する組織づくり
――組織運営で意識していることを教えてください。
社員と直接話し、何を考え、悩み、どのようなことに挑戦したいのかを理解することを大切にしています。会社の規模が大きくないからこそ、一人ひとりが主体的に考え、能力を発揮できる組織をつくりたいと思っています。
――どのような人と一緒に働きたいと考えていますか。
素直さと好奇心を持ち、自ら考えて行動できる人です。中小企業では、決められた仕事だけをこなすのではなく、自分で課題を見つけ、周囲を巻き込みながら、新しいことに挑戦する姿勢が欠かせません。
AIが急速に普及する時代だからこそ、自分自身の考えや意思を持つことが重要です。AIに答えを委ねるのではなく、実現したいことのための手段として活用できる人材が必要だと考えています。
社員にも「社会課題の解決」という軸を繰り返し伝えています。本質的な課題を考え、科学的な根拠を重視しながら、社会に価値のあるものを生み出す姿勢を共有したいと思っています。
自らの経験を、健康寿命を支える服づくりへ
――今後の展望や挑戦したいことを教えてください。
2025年6月、突然、脳出血を発症し、左半身麻痺となりました。発症直後は、自立歩行や以前と同じような社会復帰は容易ではないと説明を受けました。約半年間の入院とリハビリを経て退院し、その後も毎日訓練を重ね、現在は杖を使いながら会社へ通勤し、仕事にも復帰しています。
発症するまでは、私は機能性ウェアを「開発する側」でした。しかし、自分自身が突然、左半身麻痺となったことで、「着る」「歩く」「動く」「眠る」という当たり前の行為が、どれほど人間の尊厳や生活の質に関わっているのかを、初めて当事者として理解しました。
それまでも企業側から「健康」や「ウェルビーイング」と衣服の関係を考えてきましたが、自分自身が当事者になったことで、その意味は根本から変わりました。入院中や退院後の生活では、身体の動かしやすさ、筋緊張、姿勢、体温、血流、睡眠、疲労、精神的な安心感など、さまざまな要素が回復に影響することを実感しています。
今では、私は経営者であり、研究者であると同時に、自らが研究対象でもあります。自分自身の身体で感じたことも生かしながら、大学、医療・リハビリの専門家、公的研究機関、企業と連携し、「近未来のリハビリウェア」の開発に取り組んでいます。
目指しているのは、身体状態や生活環境に合わせ、より動きやすく、休みやすい快適な生活を支える服です。病気や障害のある方だけでなく、高齢者や働く人、スポーツをする人など、幅広い人の健康寿命や生活の質の向上に貢献したいと考えています。
病気や障害のある方だけではなく、高齢者、働く人、スポーツをする人など、一人ひとりの健康寿命の延伸や生活の質の向上に貢献できる機能性ウェアを社会へ届けることが目標です。
実現には、素材や製品の開発だけでなく、適切な評価方法や基準づくりも必要です。研究者や医療・リハビリの専門家と連携し、身体の動きや生理反応、快適性などを科学的に検証しながら、新しい価値を社会へ実装していきたいと思っています。
「積み重ねは嘘をつかない」――日々の回復を経営の力に
――仕事以外でのリフレッシュ方法を教えてください。
現在は、リハビリそのものが日々の大切な時間になっています。以前は、学生時代の仲間とサッカーなどのスポーツを楽しんだり、仕事とは関係のない友人と過ごしたりすることがリフレッシュになっていました。今は、再び仲間とスポーツを楽しむことを目標に、毎日リハビリに取り組んでいます。
また、歩くことや電車に乗ること、家族や仲間と過ごすことなど、以前は当たり前だった日常に大きな喜びを感じるようになりました。小さな回復や変化を感じることも、現在の私にとって大切な時間です。
――経営者として大切にしている信条を教えてください。
脳出血からのリハビリを通じて、改めて強く実感したのは、「積み重ねは嘘をつかない」ということです。発症直後は一歩も歩くことができませんでした。それでも、毎日一歩ずつリハビリを続けることで、少しずつ立ち、歩き、電車に乗り、会社へ通えるようになりました。
この経験は、経営にも通じています。一発逆転を狙うのではなく、目の前の課題に向き合い、小さな努力と改善を重ねる。その積み重ねが、大きな成果や新しい未来につながると信じています。
自分自身の回復と会社の成長、そして社会課題を解決する未来の服づくりに、一つひとつ挑戦していきたいと思っています。
その先に見据えているのは、日本の繊維産業の可能性です。日本には、世界に誇れる繊維技術やものづくりの力があります。一方で、価格競争だけでは、その本当の価値を十分に生かすことはできません。
素材や機能だけでなく、知的財産、科学的評価、環境価値までを組み合わせ、「なぜこの服には価値があるのか」を世界に説明できる産業へ進化していく必要があると考えています。COVEROSS®をその一つのモデルケースとして、日本の繊維技術やものづくりの価値を世界へ届けていきたいです。