有限会社TASS設計室 代表取締役 酒井 善明氏
「構造設計は地味ですが、建物を支える根幹です」——そう語るのは有限会社TASS設計室の酒井善明代表。独立から三十五年以上、意匠設計事務所や建設会社から寄せられる依頼に応え、マンションや工場、ホテルの耐震診断から三角地や斜面地の建物まで幅広く手がけてきました。難物件ほどやりがいがあると話す姿勢は一貫しており、積み上げた経験と信頼は今も地域と業界に大きな影響を与えています。他社が敬遠する案件も「当たり前のことを当たり前にやる」姿勢で淡々と解き続けてきた酒井代表に、事業の特徴やこれまでの歩み、そして未来への思いを伺いました。
構造設計に特化した小さな精鋭の仕事
――現在の事業内容と強みを教えてください。
構造設計と耐震診断に特化しています。意匠計事務所や建設会社の依頼に応じ、構造計算や構造図を担います。三角形の敷地や斜面地など条件が厳しい物件も多く、施工性まで含めて支援できる点が強みです。既存建築の診断や改修も増えており、ホテルの耐震診断が今月始まります。
――取引先や案件の特徴を教えてください。
長年の得意先が中心で、紹介から派生するご依頼が多いです。工場や倉庫、共同住宅が主で、一般住宅は紹介で年に一、二件ほどです。現場によって課題は千差万別で、常に柔軟な発想と冷静な計算が求められています。
独立三十五年で磨いた難物件への矜持
――独立の経緯をお聞かせください。
設計事務所勤務と竹中工務店設計部への出向を経て独立しました。週の半分は大規模案件の下請け、残りは地元案件という形で、新型原発や博覧会施設、巨大倉庫などに携わり、経験の幅を広げました。
――技術者としての転機は何でしたか。
構造技術者協会への入会を機に、竹中時代の上司と再会し、以後は難度の高い案件を二人三脚で進めています。弁護士からの依頼で裁判や調停に技術的見解を提供することもあります。誰もやりたがらない案件ほど、合理的な答えを導く価値があります。
――仕事観について教えてください。
「当たり前のことを当たり前にやる」。この基本を守り続けています。48歳の時にはミャンマーで十日間の出家修行を経験し、仏教は心理学だと感じました。修行で培った心構えは、難しい局面でも冷静に判断する力につながっています。
二人体制でもぶれない運営術
――現在の体制と役割分担を教えてください。
私と息子の二人体制です。案件の難度に応じて任せ方を調整し、外注は必要時のみ信頼できる先輩に依頼します。経理は税理士に委託し、バックオフィスは最小限です。
――人材育成で大切にしていることは何でしょうか。
自ら学ぶ姿勢を最重視します。専門書を自費で揃え、独学で底力をつける人が伸びます。教わるだけでは身になりません。日々の実務と学びを往復できる環境づくりを心がけています。息子にも「自分で調べ、考える」姿勢を求めています。
既存建築の延命と耐震で社会に効く未来
――今後三年の見通しを教えてください。
過度な拡大はせず、顧問先の営業支援や既存建築の延命・耐震の知見提供を強めます。生成AIは資料探索の入口として有効ですが、最終判断は人が納得できることが前提であり、構造設計そのものが置き換わるとは考えていません。
――事業承継についてのお考えを聞かせてください。
目安として五年程度を想定していますが、主力移行は案件難度に応じて柔軟に進めます。業界全体で高齢化が進む中でも、頭が動く限り現場で解き続けるつもりです。経験を積んだ技術者が長く活躍できる環境を示すことも、自分の役割だと考えています。
銀座の一杯と技術者との交流が整える思考
――リフレッシュ方法を教えてください。
おいしいものをいただく時間を大切にしています。仕事の席で銀座のクラブを使うこともあり、上質な空間と寿司や割烹などを始めとした基礎が行き届いた一品に心が整います。食事は贅沢ではなく、心を切り替える大切なスイッチです。
――若手技術者や起業準備中の方へのメッセージをお願いします。
始めるなら早く始めてください。建築で仕事を続けるなら、数学と古典物理は必須です。見た目の美しさは、合理性と安全性の上にしか成り立ちません。自分の頭と手で解き続ける人に、仕事は必ず巡ってきます。経験は裏切らず、積み重ねが必ず未来を拓きます。