自然と人が共に生きる村をつくる――カンボジアで描く“もう一つの成長”のかたち

特定非営利活動法人earth tree 代表理事 加藤 大地氏

カンボジアの農村で、教育と雇用を軸に活動を続ける特定非営利活動法人earth tree。2022年7月にNPO法人として設立された同法人は、現地スタッフ28名、日本側約25名の体制で、学びの場づくりと雇用創出を推進しています。代表理事の加藤大地氏は、20代の時に世界を巡る中で出会ったカンボジアの人々との縁をきっかけに、学校建設から活動をスタートさせました。なぜ今、カンボジアで“村らしい成長”を目指すのか。その原点と未来構想を伺いました。

「教育」と「雇用」――二つの軸で未来を支える

――御法人の事業内容について教えてください。

大きな主軸は二つあります。一つは、子どもたちが学べる環境を整えることです。どこの国に生まれても、未来をつくるために学べる環境は本来あるべきものだと考え、教育の場をつくっています。

もう一つは、大人が働ける環境をつくることです。大人が働けなければ、子どもがどれだけ学校に行きたいと思っても、その願いを守ることができません。ですので、「教育」と「雇用」、この二つを両輪として活動しています。

具体的には、カンボジアの農村を拠点に、フリースクールの運営や、自然素材を活かしたものづくりを通じた仕事づくりを行っています。村では「LOYLOY(ロイロイ)」という工房を設け、現地の女性たちが天然素材を使ってアクセサリーやカゴを制作し、現地や日本で販売しています。建築に関しては、村の男性たちが現地の竹を使って建物づくりを担っています。

※「ロイ」はクメール語で“良い”の意味

――収益構造についても教えてください。

収入は寄付、事業収入、補助金・助成金が柱です。事業収入の中で大きいのは、現地発着ツアーや日本の旅行会社を通じたスタディーツアー、親子ツアーなどです。年間で約500~600人が現地を訪れています。

そのほか、先ほど述べたカンボジアの村のお母さんたちが作った物品のオンライン販売やマルシェでの販売もありますし、また、日本全国をキャンピングカーで回りながら自分たちの活動を映した短編映画の上映会と講演会を行い、そこで物品の販売を実施する取り組みもしています。そちらは、キャンピングカーの会社の社長さんがearth treeの活動を応援したいということで、キャンピングカーを無償で貸してくださり、昨年は5週間で23ヶ所ほどで、上映会、講演会、販売会を行いました。

さらに、法人パートナー(年間10万円~)や、個人のマンスリーサポーター(月額支援)の制度も設けています。現在、個人サポーターは約150名ですが、「1000人の一歩でつくる未来」という思いがあり、将来的に1000人規模を目指したいと考えています。

世界一周の旅が人生を変えた

――経営の道に進まれたきっかけを教えてください。

私は20歳で社会人になり、整形外科のリハビリテーション科で働いていました。その当時から、生まれて20歳で成人と呼ばれるのであれば、社会人になった20歳からの20年後である、40歳が社会人としての成人式だと自分なりに考えていました。なので、そこまではとにかく、仕事もプライベートも含めて自分が気になることや、やりたいこと、やりたくないこともとにかくいろいろな経験をして、社会人として成長して、40歳になったらその中で自分が一つ決めたものを会社として、社会に還元していきたいというふうに決めていました。

その中で大きかったのが、約2年10カ月かけての、ハネムーンとしての世界一周の旅でした。貧乏バックパッカーの旅でしたが、計約60カ国を回りました。その中で、カンボジアでは同じバックパッカーの仲間約180人と3カ月間村に通い、学校建設を行いました。

――その経験からどのようなことを感じましたか。

1975年のポル・ポト時代以降、学ぶことが許されなかった地域にとって、学校の再開は村の人たちにとっては35年ぶりに教育が戻る瞬間でした。通い始めた子どもたちが自分の名前を書けるようになり、笑顔でお礼を言ってくれる姿を見たとき、こんなに幸せを感じることがあるのか。という感覚になりました。

「自分が経験してきたことの中で一番社会に対して役に立てるのはこれかもしれない」と思いました。それで、39歳のときにearth treeの前身となる団体を立ち上げ、カンボジアに家族で移住し、もがくように動きながら道を模索し始めました。そして、「自然素材を大きく生かしていくこと」が村人たちの仕事作り、村の発展につながっていくと確信を持てた時点で、NPOという形に3年前に変え、そこから現在の活動がスタートしました。

※ポル・ポト政権:1975-1979年でカンボジアに樹立された極端な共産主義政権。都市住民を農村へ強制移住させ、通貨や学校を廃止して自給自足の農業社会を目指す過程で、100万〜200万人以上の国民を虐殺・餓死させ、同国経済を崩壊させた。 

好きになった人のために、できることをしたい

――最初の学校建設はどのような経緯で行われたのですか。

最初の学校建設は私が30歳のときでした。まず、そもそもカンボジアに行ったのは、世界一周の練習のためだったんです。27歳のときに「世界中を自分の足で歩いてみたい」という夢に向かって動き始め、当時はまだどこにも行ったことがなかったので、1回くらい練習でどこかに行ってみようと思い、選んだのがカンボジアでした。アンコール・ワットを見てみたいという理由からでした。

そしてカンボジアに行き、現地の人たちと触れ合い、その人たちのことがすごく好きになりました。しかしある日、「今日の夜一緒に飲もうよ」と言っていたゲストハウスの30歳くらいのドライバーさんの1人が、「帰るね」と一杯も飲まずに帰って、そのまま夜中に亡くなってしまうということがありました。原因は全然わからない、ちょっと前から調子が悪かったみたいなことが話されただけでした。

「こんなにふわっと人の命が失われていくんだ」と、今まで感じたことのない気持ちを感じました。好きになった人たちが簡単に命すら失ってしまう環境にいる。それで帰りの飛行機の中、「何かできることはないのかな」と考えました。好きになった人たちのために、何かできることをやりたいと思ったんです。

そのようにして、「人生で1回くらい何か良いことをしてもいいんじゃないか」と思い始めたちょうどそのとき、たまたま学校を作っている方に、次の年にカンボジアで出会いました。話をしていくうちに、「この人みたいに学校を作って、その学校を通して一生この国と付き合っていこう」と思うようになりました。特に自分に対してのメリットみたいなものは考えず、「たまたま日本という恵まれた国に生まれることができた自分に、何かできることはないのか」という、シンプルな思いだけがありました。

100人に語り続けられたら、その夢は叶う

――その後はどのように進んでいったのでしょうか。

最初は私と妻の二人で、自分たちでお金を貯めてそれで世界中に作ろうと話をしていました。しかし、日本に帰ってから現実的な壁に直面しました。「実際いくらだったらできるだろう」「どうやったら作れるんだろう」「どうやったら運営ができるんだろう」そんな現実的な話がだんだんと見えてきて。そんなことを思いながら、考えていたことを当時働いていた職場の仲間に話したら、「100人に語り続けることができたら、その夢は叶うらしいよ」と言われました。

「そうなのか。じゃあとりあえずやってみるか」と思い、人に話すことを始めました。すると、10人に話せば2人くらいは、「昔協力隊に行って、そういうことやりたいと思ってたんだよね」とか、「それ私も一緒にやりたい!」という人が出てくるんですね。話せば話すほど、一緒にやりたいという仲間が増えていきました。それならみんなでやった方が面白いかなと思い、プロジェクトのような形になっていきました。

熱い人となら一緒にやりたいと思い、一口2万円、社長でも、学生でも、一口2万円のみ受け取る形にし、誰も偉くないという形で、みんなで学校を作ろうというプロジェクトが立ち上がり、そこに結果として80人が参加してくれて、それで建設資金は集まったという形でした。

こうして集まった160万円を、現地の大工さんの給料と学校を作るための資材費にあて、現地の旅人たちのボランティアは往復の移動費と食費を割り勘で工面して、という形で最初の学校を建設しました。

“村らしい成長”を目指して

――今後の展望についてお聞かせください。

カンボジアの農村は、日本と比べると経済的に豊かとは言えません。しかし、物質的には限られた環境でありながら、人々はたくましく、笑顔を絶やさず、人と人とのつながりを大切にしながら生きています。日本であれば多くの設備や制度が必要と思われることも、強い結びつきの中で乗り越えてしまう――そんな強さに私は惹かれました。

そして同時に、「つながりの強さ」を活かした、もう一つの成長の形があるんじゃないか。そう考えるようになりました。

いま目指しているのは、人と自然、そして動物が綺麗に共存する社会です。自然を「宝物」として心から大切に思い、その恵みを最大限に活かしていく。そうした価値観のもとで、村が“村らしく”かっこよく成長していく姿を描いています。

日本は高度経済成長期以降、「お金があれば幸せになれる」という価値観のもとで発展してきました。その結果、私たちはかつてないほど多くの選択肢と豊かさを手にしています。しかし、本当に心から幸せだと言い切れているのか、そこには一つの疑問符があると私は思うんです。

だからこそ、経済的拡大を1番に目指した成長ではなく、人と自然が調和し、支え合いながら発展していく方向性を示したい。たとえコロナ禍のような出来事が再び起こったとしても、経済に頼り切っていないからこそ大きな影響を受けずに暮らし続けられる強さを持ったコミュニティ。そのような持続可能なモデルを、日本人とカンボジアの村の人々が力を合わせることで実現できるのではないかと考えています。

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