効率や利益の先にある「エネルギーの安定供給」と「山林保全」――商社で世界の石油開発を歩んだ後期高齢者の代表が、たった一人で薪を割り続ける理由
両毛木質燃料株式会社 代表取締役 吉田 隆氏
高度経済成長期から平成にかけて、日本のエネルギーを支えた石油業界。その最前線で海外の石油開発に携わっていた商社マンが、両毛木質燃料株式会社の代表取締役・吉田隆氏です。60歳の定年後、化石燃料とは対極にある木質燃料に可能性を見出し、16年前に栃木県足利市で同社を設立しました。
現在は後期高齢者となった今も、東京都府中市から週1回足利の山へ通い、一人で木を伐採し薪を作り続けています。吉田氏が大切にしているのは、利益拡大ではなく、お客様への安定供給と山林保全です。その姿勢には、人と自然、そして顧客との信頼関係を何より重んじる経営哲学が息づいています。泥臭くも温かい信頼関係の軌跡を紐解きます。
目次
一発を狙う世界の石油開発から、国内の山林資源の有効活用へ
――歩んでこられたキャリアと、定年後に「木質燃料」という全く異なる分野で起業されたきっかけについて教えてください。
私は1972年に商社へ入社し、主に石油製品の貿易、石油開発の事業に携わってきました。石油開発ではベトナム、ロシア、南米などで現地政府・公社と交渉し、油田開発に挑戦する仕事です。
石油開発は大きな成功を生む一方で、莫大な投資が失敗に終わることが多く、極めてリスキーな難しい事業です。その経験から、海外の不確実な資源よりも、日本国内の身近な資源を有効活用すべきではないかと考えるようになりました。
当時、日本の山林では間伐材が使われずに放置されていました。そこで「これを燃料として活用できるのではないか」とバイオマスの勉強を始め、ボランティア活動等を経て、定年退職後に木質燃料事業を立ち上げました。
――現在の「一人薪問屋」という形に至るまでの現状を教えてください。
当初は木質チップを製造し、発電所や企業へ販売する事業を目指していました。しかし当時はバイオマスへの理解は低く、買い取ってもらうどころか処分費用を求められる状況で、事業化は困難でした。農家への木質ボイラー提案も受け入れられず、結果として薪ストーブ用の薪の製造・販売が現在の主な事業となりました。
現在はスタッフを雇わず、私一人で運営しています。足利市の約2ヘクタールの山林でナラやカシの薪を作り、お客様に直接引き取りに来てもらっています。
薪の価格は相場より安い1キロ20円です。年金生活のため、必ずしも利益を追う必要はなく、事業拡大ももう考えていません。山で体を動かしながら、樹々を育て、地域の方々に薪を安定供給することが今の生きがいです。
第一次オイルショックで学んだ、エネルギーを「絶やさない」という絶対の流儀
――吉田代表が経営において最も大切にされている「譲れない信念」とは何でしょうか。
商売としての強みは、圧倒的な低価格以外には特にありません。配送もせず、「購入を希望される方は自分で山に引き取りに来てください」というやり方です。
その代わり、私が何より大切にしているのは「常に十分な薪を確保し、供給を絶やさないこと」です。
薪ストーブを暖房として使う方にとっては、薪は趣味の道具ではなく冬を越すためのライフラインでもあります。だから私は、お客様が必要な時にいつでも引き取れる在庫を維持し続けています。
この考え方の原点は、1973年の第一次オイルショックです。当時、石油供給の不安から社会は混乱し、買いだめ騒動が起きました。特に印象に残っているのは、養鶏事業の関係者から「灯油がなければ雛鳥が寒さで死んでしまう。一滴でも回してほしい」と訴えられたことです。私はその時、エネルギー供給が止まることの恐ろしさを痛感しました。
石油から薪へ扱うものは変わりましたが、「エネルギーを供給する者は安定供給に責任を持たなければならない」という信念は変わりません。長年のお客様の中には「吉田さんが薪づくりを辞める時は、私も薪ストーブを辞める時だ」と言って下さる方もいます。その期待に応えるためにも、あと数年は在庫を切らさず、供給を守り続けるつもりです。
自然と妥協し、山の資源を次世代へ残す「山林保全」という本当の価値
――日々の課題や、自然との向き合い方についてお聞かせください。
山仕事の9割は、木の伐採や丸太の搬出、丸太を規格の長さに切り揃えて玉切りを作り、それを一本ずつ割るかなり体力を使う仕事です。雨の日の斜面は危険で、作業には常に怪我のリスクがあります。決して楽な仕事ではありません。
それでも、この仕事には人間関係のストレスがほとんどなく、自然の中で働ける大きな魅力があります。そのため私は、目先の利益のために木を切り尽くすのではなく、山を健全な状態で次世代へ残すことを大切にしています。その一環として植樹活動にも力を入れています。特に梅雨前は苗木を植える最適な時期ですが、自然相手の仕事は思うようにはいきません。せっかく植えた苗木もシカやイノシシに食べられたり、病気で枯れたりして、生き残れるのは一部だけです。
自然の世界では、努力した分だけ成果が得られるとは限りません。だからこそ、自然のサイクルを受け入れ、辛抱強く共生していくことが、山林とともに生きるものの大切な役割だと感じています。
東京都府中市での地域への恩返しと、美しき山林の引き際
――仕事以外でのリフレッシュ方法を教えてください。
年齢も後期高齢者となり、男性の平均寿命とされる81.1歳という数字が、いよいよ現実味を帯びて身近に迫ってきているのを実感しています。
実際に、同じ会社に同期で入社した大切な仲間たち10人のうち、すでに4人がこの世を去ってしまいました。そうした中で、自分の残された人生の時間をどう使うかと考えたとき、それまで仕事中心で、ほとんど関心を持たなかった地域社会に対して、少しでもかかわりを持って「恩返し」をすべきではと言う思いが強くなってきました。
現在、私が暮らしている東京都府中市は非常に地域活動が活発な街です。
私は地域の老人会、今風の言葉で言えば「シニアクラブ」の役員を引き受けており、その地域活動の運営やシニアの方のサポートに結構な時間を割いています。現役時代は仕事で何度も海外に出かけましたが、もうこれ以上、海外旅行に行きたいというような欲望もありません。
それよりも、身近な足元の地域社会のために汗をかき、お役に立てることを実践していくことが、今の私にとって充実感を得ることであり、リフレッシュになっています。
――最後に、今後の会社の行く末や、ご自身の引き際についての展望をお聞かせください。
かなり体力を使う山仕事を今の若い人に勧めるのも簡単ではありません。
しかし、山を放置すれば雑草やササが生い茂り、あっという間に荒れてしまいます。実際、山の管理に困った地主の方から伐採の相談を受けることも増えており、地方では山を守る担い手不足が深刻です。
私が所有する足利の山林は、陽当たりの良い南斜面の優良な土地です。将来、薪事業に限らず、自然保全や果実栽培などに活用したいという熱意ある個人や団体とのご縁があれば、この山林と設備を引き継いでいって頂ければなと思っています。
それまでは体力の続く限り、お客さまのために在庫を切らさず、一本一本心を込めて薪を作り続けていくつもりです。自然と地域に支えられながら、これからも自分らしく歩んでいきたいと思っています。